エーカパーダカウンディニヤーサナをやってみましょう。
先生が言った。
えっそれ何?宇宙人のことば?
いえいえ、ヨガポーズの名前です。
ねじった上半身を肘の上に乗せ、両足を前後に開いたアームバランスのポーズ。
この写真を見て分かるだろうか?
数あるヨガポーズの中でも、アドバンス(上級)と言われるポーズのひとつだと思う。
この前のヨガクラスで、このポーズの練習をした。
太陽礼拝の後、ねじりにフォーカスしてポーズを重ね、その日のピークポーズが、
「エーカパーダカウンディニヤーサナ」だった。
アームバランスのひとつで、「聖者カウンティニーに捧げるポーズ」という名前のヨガポーズだ。
その日、クラスには9人ほど生徒さんがいて、このポーズができた人は私ともう一人。
私がこのポーズをやってるのを見た先生が突然、「ayaさん、何歳?」と聞くので、
ちょっと考えて(一瞬忘れていた(笑))「60歳です」とカミングアウト。
一瞬にしてクラスのみんなの目が羨望と驚きに変わる(笑)
アームバランスは基本のポーズの積み重ね
先生は、私がいい年だと言いたかったわけじゃない。
ヨガを12年以上続けて、どんどんヨガの魅力にはまってきた私。
ヨガの先生でもあり、親友である彼女は、ずっと良き指導者として、ヨガの面白さや深さを教えてくれた。
できないポーズに出会うたびに、楽しんでチャレンジしてきた。
どんなにむずかしいポーズも、基本のポーズの積み重ねでしかない。
- お腹の引き締め(ウディアナバンダ)で引き上げる
- 上半身をしっかりねじる
- ダウンドックやチャトランガで腕、手首を強化する
- 開いた脚を支えることのできる、腹筋を作る
基本的なポーズをひとつひとつ積み重ねていけばいつかはできるようになる。
できないポーズがあったら、それを面白がる。それからできるまで楽しむことだ。
「そんなこと到底自分ではできるはずがない」と、できない理由を言う人が多い。
自分の限界を作っているのは自分。
自分の限界とか、自分の行先とか、先のことはわからない
これは私の周りにいる知人の話。
彼女はとてもまじめだ。
地に足をつけて、多くを望まず、「身の丈に合った暮らし」をするのが立派な生き方だと思っている。
とても堅実で、決して冒険はしない。
彼女に未来は現在の延長線上にある。
見える未来を堅実に、穏やかに過ごすためにコツコツと貯金と節約に励んでいる。
それって、楽しいのかな?
限界を決めているのは、誰でもない自分だったりする。
「腕に身体を預けてバランスをとり、足を前後に開く」そんな難しいことは、できるはずはないと思っているのと同じ。
あなたが見ている世界はほかの人が見ている世界とは違う
いま見えていて、「この世の中と思っているもの」
それはあなたが見ているもの、感じているものを、脳があなたに見せているものでしかない。
今まで生きてきて、
- 見たことがあること
- 親とか会社の上司とか、先生に教えられた正しいこと
- こうあらねばならぬと思うこと。
- 本やテレビで見たことがあること。
そんな記憶と経験と概念が、頭の中で世界を作っている。
人が見ることのできる幅って、本当に小さいんだよ。
だって、紫外線とか赤外線とかいうように、光にさえ目で見ることのできないものがあるでしょ。
バイオリンを見たことある?
じゃあ、目の前に紙があったとして、あなたの知っている正しいバイオリンを絵にかいてみて。
せーので友人と一緒に書いてみて。
どうだろう。正しいバイオリンが書けただろうか?
細部はどうだっただろう、弦は何本?
持つところの形ってどうなってた?
そう、人間の記憶ってあいまいなもの。
忘れるからこそ、新しいことが覚えられるのが脳の仕組みだから。
まして、私ぐらいの年齢になるとさらに物忘れや思い出せないことが増えてくる。
そのあいまいな記憶で見えているのが、世の中だと思っているもの。
自分で、「これが常識」そう思っていることの根拠って、かなりあいまい。
その常識を外してみてはどう?
未来は可能性に満ちている?!
自分の未来も同じ。できないと思っていたらできない。
- きっと練習すればできる
- きっとがんばればできる
- なんだってできる
ワクワクする未来をありありと想像して、臨場感を高く脳に描くことで、それは確かな未来になって現実になる。
自分の身の程として作る制限は、自分で自分を閉じ込めて作っているもの。
自分で制限を外してやれば、限界なんてなくて、可能性は宇宙の果てまで広がるんだよ!
年だからできない?
全然そんなことないよ。
未来をリアルに描くと現実になる
いま、これからの自分を楽しく描いている。
- 私の人生は私のもの。その自分に正面から向き合って、
- 逃げないで、わくわくする未来へ向かっている。
- 自分が目指す生き方を、コミットすればそれが現実になる。
エーカパーダカウンディニヤーサナ、ヨガのアームバランスの練習しながら、自分の人生に思いが及んだ。
基本の練習の積み重ねの上に、とても遠くて手が届かない難しいポーズがいつの間にか近くなる。
マットを離れたとしてもヨガはそこにある。これがヨガの哲学かな。
それを思い出すことができたいい練習になった。
自分に制限をつけず、臨んだ未来を実現する力にすることをやっていこう。
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